りんご研究所
※※ 2021年産「国光」について※※
2018年の台風24号の影響で、国光の樹が折れたため収獲量が激減しております。
2018年の台風24号の影響で、国光の樹が折れたため収獲量が激減しております。
2021年産の「国光」の販売に関して、詳細が決定しましたら
随時更新をさせていただきます。
随時更新をさせていただきます。
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古木に実る昔なつかし国光(こっこう)りんご
青森県のりんご栽培は、明治8年(1875年)に内務省勧業寮から配布された苗木を 県庁敷地内に植えたのが始まりです。さらにその後も同寮から苗木の配布があり、 約320本の苗木を栽培者に1、2本ずつ配布し今日のりんご産業の基礎が築かれました。
試作期を経て明治20年代から栽培が本格化しましたが、当時は栽培管理も不十分だったため、 明治30年代に入ると病害虫がまん延し廃園が続出する状況となり、試験研究機関の創設が望 まれるようになりました。
昭和6年、黒石町(現黒石市)及び生産者から土地、建物、施設の提供を受け、 りんごに関する専門試験場「青森県苹果試験場」が設立されました。 以来りんご研究の主要機関として、数々の実績をあげています。 現在は「(地独)青森県産業技術センター りんご研究所」と改称されています。
「(地独)青森県産業技術センター りんご研究所」には、 明治34年(1901年)に植栽されていたと記録のある 国光(こっこう)の大木が数本育っています。
国光はアメリカで1800(寛政12)年頃には知られていた 古い品種で東北地方、特に青森県の風土に生育が 適していたため明治、大正、昭和にかけて 主力品種として栽培されておりました。
収穫時期が11月初旬~中旬と遅くりんごの木に雪が 降り積もり、りんごの実が雪の下になることから、 青森では別名「雪の下」と呼ばれています。
りんごといえば、紅玉と国光以外は思い浮かば なかった時代がある程人気があり、昭和15年 (1940年)には栽培面積47.28%を占めていた 国光ですが、時代の移り変わりと新しい品種の 登場により市場から姿を消しました。 現在では、生産している農家はほぼありません。
また、国光は現在一番人気のあるりんご「ふじ」 の交配親です。 長い間愛された美味しさの良さが子供に しっかりと受け継がれています。
食べた事のある人は昔懐かしい味、初めて 食べる方は「ふじ」とは違った新鮮なりんごの味が味わえます。